学習障害(LD)とは? 中学生の成績は低い方がいい!!

考える普段の行動を見ても怠け者というわけでなもないのに、テストの点数がなかなか取れない中学生がたくさんいます。

 

「勉強を頑張りたい」という思いを持っていて努力しても、全く成果に結びつかない中学生がたくさんいます。

 

何度同じことを教わって、繰り返し繰り返し勉強しても、なかなか頭に定着しない中学生がたくさんいます。

 

両親にも理解されず、「怠けている」と思われて怒られ続ける中学生もたくさんいます。

 

そういった場合は、学習障害(LD)と診断される傾向があります。

 

「サボっているわけではないのに、30点台しかとれない」

 

「真面目な性格なのに、どうしても評定で3が取れない」

 

といったケースで、なおかつその現状にお悩みの場合のみ、以下を読んでください。

 

学習障害(LD)とは?

「学習障害」という言葉は一見、結構なダメージのある言葉です。「知的障害」といった言葉と混同されることもあります。しかし実態は全く違い、学習障害は広く一般的によく見られる疾患です。

 

英語ではLD(Learning Disability)と呼ばれ、略してLDと表記します。以降は、「学習障害」という言葉が本人や家族に不必要なショックを与える恐れもあることから、LDと表記します。

 

教育用語としてのLDの定義としては、1999年の文部省が出した

「学習障害とは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を指すものである。

学習障害は、その原因として、中枢神経系に何らかの機能障害があると推定されるが、視覚障害、聴覚障害、知的障害、情緒障害などの障害や、環境的な要因が直接の原因となるものではない。」

というものがあります。こちらの理解で問題なく、赤字が最も大切な部分です。

 

1.聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち、どれかの習得と使用に著しい困難を示す

listening etc

旧文部省が定義した、上に挙げられた能力の全ては、学校の勉強に直接的に関わる重要な能力です。どれか一つでも当てはまるとすれば、LDだと判断される要素を満たします。

 

知的発達に遅れが見られるわけでなく、普通に会話したり、遊んだりしている分には何ら支障はありません。「お勉強」になったとたんに、問題が顕著に目に見えるものとなります。従って、小学生くらいまで大きくならなければ誰も症状を疑わないことも多いです。

 

もちろん、「学校の成績を伸ばす」「志望校合格のため、難しい問題にチャレンジする」ことに関してはかなり大きなハンディキャップを背負うこととなります。

 

 

LDに関する研究は医学や教育、看護などの分野で広く使用されることもあり、

「LDとは◯◯であって、この場合はLDであり、この場合はLDではない」

のような明確な定義はできません。「著しい困難」にも解釈の幅もあるからです。

 

「LDの傾向がある」という言い方が、一般的にできる限界の理解です。

 

大きく分けて3種類のLDを知りましょう

LDの定義は多岐に渡りますが、簡単に理解するため、大きく分けて3つの種類を知ることが大切です。

  • 読むこと
  • 書くこと
  • 計算すること

他には「コミュニケーションを取ること」なども入りますが、学校の成績や勉強に限って言えば、上記の3つが最も大切で、基本的な困難の内容です。

 

読むことの困難

特に読むことが困難になることを「ディスレクシア」と言います。識字障害とか難読症とか言うこともあります。

学校の国語のテストなど、日本語で文章を読んで日本語で答えるので、数学や英語に比べれば簡単なはずです。実際、何も全く勉強しなくともある程度の点数が取れるのが国語です。

 

しかしそれでも、国語の点数が10点ほどしか取れなかったり、同じような問題を繰り返し解いた後にテストに挑んでも、30点もとれない場合があります。その場合、本人は確実に「読むこと」に苦手意識を感じています。辛い思いもしています。いくら頑張ったり、いくら教科書を音読したり、いくら先生にみっちり指導してもらって努力しても、根本的に苦手な分野なのでなかなか改善しません。本人が本気で努力しても、それでなんとかなる問題ではありません。

ディスレクシア

上は「こんにちはたかくらじゅくです」という文の中心部分を隠したものですが、パッと見では分かりにくいですよね。じっくり見れば分かりますが、国語のテストの文章が全部これでできていたら、読むだけで全力疾走くらい疲れて答えを書くどころではありません。読むことに困難のある人が実際にどのように見えているかは本人しか分かりませんが、歪んで見えたり動いて見えたりすると言われます。おそらく、上の例なんかはまだ読みやすい方かもしれません。これで国語のテストで30点取ったら、それだけでピザでも頼んでパーティーをするべきです。

 

こりゃ勉強のやる気なんか無くなりますよ。しかも勉強なんてできればしたくないものだし、その上難易度がマックスのゲームだったとしたら…。点数が低くて両親に怒られながらも諦めずに頑張っている生徒が天使に見えてきました。こういう生徒は逆に真面目だったりするので、両親に怒られても、「もっと勉強しない自分が悪いんだ」とか本気で考えるんですよ。そして「私はバカなんだ」と自尊心を失っていきます。すみません泣けてきました

 

書くことの困難

お子様に対して、「なんて字が汚いんだコイツは」と思ったことがありませんか。私も多くの生徒を見てきて、何度も感じてきました。「字が汚すぎて採点できないだろ」と思ってしまうこともあります。

 

その場合は、「書くことの困難」に直面している可能性も考えてください。

 

※もちろん大半の中学生は、適当に汚く書いているだけです。ぜひとも叱ってキレイな字を書かせてください。

 

稀に、学校の先生の板書をノートに写すことができない生徒がいます。「キレイに書こう」と思っても、どうしてもぐちゃぐちゃな字になってしまう場合があります。特に中学生に上がってアルファベットを書かされたり、新しい漢字を書かされたりと大忙しになってしまい、早々と挫折してしまうケースが大変多いです。ただでさえ文字を書くことに大きな苦労を伴うのに、アルファベットを書かされたらてんやわんやで勉強どころではありません。英単語を繰り返しノートに書かされた日にゃ頭がパンクします。

 

アルファベットがどうしても覚えられない中学生は案外多いです。aからzまで覚えてもらうのに毎日練習して、1ヶ月程たってやっと半分かけるくらいです。私の体感では結構な割合でいますし、bとdの見分けがつかないレベルだとめちゃくちゃ多い気がします。

 

あと、「one」という単語を覚えてもらうために「one」を合計100回くらい書いてもらった後でも、どうしても「oen」とか書いてしまう生徒もいました。これは指導側のミスでもあり、「書くことの困難」を抱えている生徒にそんなことやったって時間のムダで、自尊心を損なってしまうだけでした。その生徒にあった指導を考えなければならなかったのです。この状態で「英語のテストを頑張って70点とりなさい」なんて言ったって絶対に不可能ですし、めちゃくちゃかわいそうな状況です。そして多くの場合、お子様のこういった現状は、ご両親は全く知りません。家庭で「one」を書いてもらうことなんかないですから。

 

精一杯やったってこんな状況にあるのに、恥ずかしい点数を取ってしまい、親や先生に怒られ、自分の現状も知ってもらえずに、誰にもSOSを発信できずに自分の中で感情を閉じ込める、という生徒が日本中にいるはずです。これも大人が泣くべき事態だと思います。

 

勉強なんかできんでもええんや。うまく書けんでもええんや。自分のペースで自分の得意なことを伸ばすんや。そう言ってあげなければなりません。

 

計算することの困難

これも簡単で、「計算が苦手」という意味です。数の大小とかも、ゆっくりゆっくり説明してもらわないとなかなか理解できません。一度理解しても、次回には8割忘れてしまっています。

 

これも私の中の勝手な統計ですが、「読むことの困難」「書くことの困難」を持っている中学生に比べれば、「計算することの困難」を持っている生徒は圧倒的に少ない気がします。どうしても国語や英語が苦手だ、という生徒も、数学だけは頑張るだけ成果が見えてくることが多く感じます。

 

でもどうしても数学が苦手で嫌いな生徒は多くいます。どうやったって数学の成績が上がらず、計算をしなさいと言われても分からないか、分かったとしても多くの時間がかかってしまいます。数の大小も曖昧な場合があるのですから、中学生になってからの計算なんて無理があります。大人でも、お釣りの計算がどうしても苦手な人はいますよね。

 

文章題なんか、すぐには絶対に無理ですから期待したらかわいそうですよ。私も100m走を10秒はもちろん、もう12秒でも走れないでしょう。時間をかければできますが、数日のうちは期待しないで欲しいです。だから計算に苦しんでいる生徒に文章題なんか期待しません。私なら15秒で走れただけでパーティしてほしいだろうし、そういう生徒にも単純な計算ができるようになるだけでパーティしたい気分だからです。中学生のうちは、結果でなく過程に乾杯しなければならないのです。

 

まず、他の才能を賞賛することが大切

ジュール・リメ杯

このブログは、「学習障害(LD)についての知識をつけてもらおう」と思って書いたのではなく、これから書くことを書きたかったわけです。なので今更ではございますが上は思いっきり読み飛ばして、以下からお読みください。

 

高倉塾では多くの生徒がいましたが、「かなり勉強に苦しんでるな〜、それでもめげずに頑張ってるな〜!」という生徒はとても多かったです。つまりは、上記の「読むことの困難」「書くことの困難」「計算することの困難」を持っている生徒も少なくないわけです。一定割合でいます。もともと勉強が得意で進学校を目指す生徒が対象ではないので、当然かもしれません。

 

 

その生徒って、真面目でひたむきな人間性を持っているけれど、自信は失っています。「俺ならそれはできない」「私なんかじゃ無理」といった思考回路を強く持っています。理由は、【成績】【テストの点数】【偏差値】という残酷な数字を毎回目の前に突きつけられ、親や先生からも怒られたり呆れられたり、友達にもなんとなくバカにされたりといった経験を繰り返してきたからです。

 

しかーし、よくよく考えると、大人になったときに1番大事なのは「自信」です。誰かに仕事を任せるにしても、自信満々に説明してくれたり、「任せてください」と言って、自信満々にやってくれる人の方が安心して仕事をお願いできますし、お金を払えますよね。だから自信のある人に育って欲しいということが、高倉塾としての願いなのです。

 

一方で、中学生が何を基準に「私はできる」「私なんかダメよ」と考えるかというと、紛れもなく成績です。テストの点数です。合格する高校です。部活や課外活動もあり、全てではありませんが、多くを占めることは逃れようのない事実です。

 

でも、よくよく考えると、「勉強ができます」とか、もっと言えば「読むこと」「書くこと」「計算すること」も、何億通りもある才能のうちの一つです。極端な話、読み書きそろばんができなくても、立派に仕事してる人は数え切れない程いるわけです。だから、一所懸命に苦しみながらも諦めずに頑張ってる以上、成績のことをこれ以上は気にしないで欲しいと思っています。自然に伸びるまで、自分のベストを尽くす。それだけでええ。

 

私は中学生のころは美術と音楽が4で、あとは全部5でした。なかなか賢いと言われる中学生だったのです。はっきり言って5を取るとか余裕でした。だから中学生のころは偉そうにしていたし、勉強のできない友達を「下々の者ども」とか言ってバカにしていました。最低な中学生だったのです。でも、成績は学年で1番でした。

 

しかし今になってよく考えると、私は「犬を描いてください」と言われて描くと、以下のような絵になります。

犬ら

サービス精神で3匹書きましたが、これはふざけて書いたのではありません。深呼吸して、リラックスして目を閉じ、頭の中に明確に犬をイメージして、その後目を開けて、落ち着いた精神で描いたのが上の3匹の犬です。そう、真剣に描いたので、決してバカにしてはいけない崇高な絵なのです。

 

おわかりのように、これは明らかに「絵を描くことの困難」が生じています。どう考えてもクリエイティブなことをやったり、想像力を働かせる脳の部分に重大な障害があることが分かります。全部左向きの犬になっている理由は、右向きは何かイメージできなくて、描けないからです。これは重大な障害です。国から手当が欲しいくらいです。


犬ら(右)

やっぱりちょっと変になった

 

このように、脳に致命的な障害を持っている私ですが、とってもラッキーでもあります。なぜなら、中学生のうちには「絵を描くことの困難」なんて全く気にされないからです。大事なのはあくまでも主要5教科であって、「お前はスゲー」とか言われるのも、志望校を選べるのも主要5教科で勝負だからです。美術はありますが、あんなものは下手くそな絵でも「これが芸術だ」とか言ってれば大丈夫ですし、何よりも教科書を丸暗記して筆記試験で満点を取っておけば「4」はとれるのです。

 

だから、「どうしてもアルファベットが書けない!」「どうしても文章が読めない!」「どうしても計算ができない!」という中学生の気持ちは分かります。もし美術が主要教科で、筆記試験がなくて芸術的センスのみで成績が出る世の中だったら、私は死んでます。頑張って描いても上の絵なのに、「もっと努力しなさい」とか言われたらグレます。何回も犬の絵を描いて上達するレベルではないのです。

 

 

しかし、逆に言えば、私には「読み書きそろばん」の能力は高かったわけです。さらにラッキーなことに、私の得意な能力と、中学生の社会で求められて褒められる能力が、一致していたわけです。だから周りから「スゲー」とか言われて褒められて、自然と自信がついていたのだと思います。当然、自尊心も高まりますよね。だからこそ、大人になった今でも自由に幸福に生きられているのだと思います。

 

だから、「読むこと」「書くこと」「計算すること」の困難を抱えている生徒は本当に運が悪かっただけだと思います。残念ながら、社会が強く求める能力と、あなたの苦手な能力が重なってしまったのです。これは大きなハンディキャップです。

 

でも勉強に苦しんでいる生徒を見ていると、絵がめっちゃ上手かったりスポーツができたり、なぜか友達に慕われてたり、いつもニコニコしている心の広さを持っていたり、将来の目標をしっかり持っていたりします。賞賛されるべき才能は、間違いなくたくさん持っているのです。だからこそ、そこを賞賛しないと自尊心・自信を育てる機会を失ってしまいます。できる部分にフォーカスして、そこを伸ばしてもらうことに一所懸命に生きてもらわないといけません。

 

そういう意味では、タイトルにもあるように、「中学生の成績は低い方がいい」くらいに考えておいて、得意な部分ややりたいことにもっとのめり込んでいく方が成長します。自信がついていきますよ。

 

そんな中でも、勉強からは逃げ出さずに一緒に立ち向かい、困難にも笑顔で明るく打ち勝つ心を作っていきましょう。言いたかったのはそういうことです。

 

「そんなこと言っても、成績をあげて高校に行かなきゃ」ですって?だからオール2でも絶対に公立高校に合格させるし、私立高校もいっぱいあるから、一緒に自分に合うところを探しましょう。そして最後に合格すればいいんですよ。大人になったら絶対に、自分が活躍できるフィールドがあります。

 

Anything you’re good at contributes to happiness.

なんであれ、君の得意なことが幸せに導いてくれるよ。 

バートランド・ラッセル

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