最近、ヤフーニュースをダラダラ見ていて、こんな記事を見つけました。
・蜂蜜を乳児に与えないで リンゴにバナナ…要注意食材は他にも まず気をつけることは…
蜂蜜を原因とする乳児ボツリヌス症で東京都の生後6カ月の男児が亡くなり、子育て世代に衝撃が広がった。
蜂蜜以外にも1歳未満の乳児に離乳食として与える場合には慎重な対応が必要な食材があり、
国などは改めて注意を呼び掛けている。
ハチミツを赤ちゃんに与えて、赤ちゃんが亡くなってしまった…という悲しい事件。大きなニュースになってたので、皆さんもご存知かと思います。
乳児ボツリヌス症という症状で、死亡例は国内で初めて。
どうやらボツリヌス菌って水辺を中心に、自然界のあらゆるところに存在しているみたいですね。それで、芽胞という一種の冬眠状態のようなカタチで、ハチミツにも入っているということです。
もちろん1歳以上の赤ちゃんなら問題なく食べていいハチミツですが、1歳未満の赤ちゃんに与えたらダメ、というのはお母さん世代の人たちには常識だったようですね。
で、この事件を知った私ですが、
「へー、赤ちゃんってハチミツで死ぬこともあるのか!」
と、乳児ボツリヌス症というものを初めて知ったんですよね。
そうなると当然、自分ももし子育てをしてたら、赤ちゃんにハチミツを与えまくってた可能性もあるわけですが…、
それでもやっぱり、私は子育てしてたら赤ちゃんにハチミツは与えなかったと思うんですよね。
乳児ボツリヌス症とか、ハチミツがダメなんてことは知らなかったのですが、それでもある程度は、
「たぶん、赤ちゃんにはハチミツは与えなかっただろうな」
ということが断言できます。
これは中高生の教育についてもカンケイのあることなので、以下に考えをまとめていきたいと思います。
目次
検索しまくって調べてたはず
なぜ、乳児ボツリヌス症を知らなかったクセに、
「たぶん自分は赤ちゃんにはハチミツを与えなかっただろう」
と断言できるかというと、とりあえずスマホとかPCで検索しまくっただろうからです。
私が小学校から中学校くらいのときって、家にパソコンがある方が少数派だったし、携帯電話も検索機能なんてショボかったので、「分からないものは検索して調べる」という文化が全くありませんでした。
何か調べたいことがあると、図書館に行って、目的のことが書いてありそうな本を読んでみて、「書いてへんわ」とか文句言いながら調べる…というとてもムダな時間を過ごす必要があったのです。
高校生くらいになるとパソコンを使うことが常識になっていたので、やっと何でもかんでも検索して知識を得ることを覚えました。そして今や、なんでもかんでも検索しまくるのがクセになっています。
(昔は、「インターネットの情報はウソも多いからダメ!」と言われていましたが、今や新聞の方が誤報が多く、wikipediaの方が正確な情報が載っている時代になりました。)
ということで、たぶん自分が赤ちゃんに何か与える立場になったら、
「赤ちゃん ダメな食べ物」
とか、
「赤ちゃん 気をつけること」
とかいろいろ検索して調べてたと思います。なんなら、
「赤ちゃん ◯◯」
とか、とにかく与える食べ物全部を検索したと思います。これは私に限らず、同じ年代の人は全員そうするはずです。
検索する文化のない人
今は昔とは違い、中学生がスマホを持っていることは珍しくありません。なので、小さいときから気軽に検索できる環境を持っています。
「じゃあ、今の中高生は検索するクセがついてて安心だね」
というとそうはいきません。その中でも、必ず検索するクセのない人が出てくるはずです。
調べるクセをつけるべき
検索するクセのない人はどんな人か…というとそれはカンタン、自分で調べる気持ちが育たなかった人。
「あれ、これってどういう意味だろう」
とか、分からなかったところをそのままにせずに自分で調べることが習慣になっていれば、大人になっても必ず、
「ああ、とにかくスマホで検索しとこう」
という気持ちになるはずです。
逆に、
「まぁ、分からなくてもいいか」
という風に放置させるようなことが増えれば、スマホもLINEをするだけの鉄のカタマリとなってしまいます。
たぶん、今回の事件のご家族は年代の問題もあり、何かを検索する文化がなかったんじゃないかな…と思っています。
安易に答えを与えないのも必要?
そう考えると、今の中高生に、
「すぐに答えを与えてしまう」
塾の環境も、ちょっとずつ考え直さないといけないな…と思います。どうしてもサービスの一環なので、
「分からないことはスグに聞きなさい、教えてあげるから」
と言ってしまうのですが、実は生徒の将来を考えた場合、
「先生に聞かんでもスマホで検索したらええわい」
と考える習慣を作る方が、役に立つ面もあるわけです。
というわけで、塾なのですが、「いや、そこは自分で調べてみ」ということで、スマホとかの使用を許可する時間があってもいいのではないか、と思っています。
まぁ、常識で考えれば授業中にスマホなんてありえないのですが、常識は時代によって変わっていかなければならないので、個別指導塾業界もドンドンと「授業中にスマホはOK」とかいうルールになってもいいような気がしています。
実際、数学とかだとあんまり意味ないですが、社会の授業とかだったら先生よりネットの方が100倍役立つんですよね…。詳しいし、いろんな意見が載ってるし。
高倉塾は先生がGoogleに頼ってます。
で、そんな私の運営する高倉塾なので、先生はスマホとかPCで検索しまくってます。正しくは私だけなんですが、先生にも「分からんことがあったらすぐ検索してOK」と言っています。
生徒って、たまに上手いこと微妙なラインの質問をしてくるんですよね。即答できればいいんですが、思わずうなる質問攻撃を受けることがあります。
そんなときなんですが、悪びれもせずに、
「ああ〜、それね、もちろん知ってるよ〜ちょっと待ってね〜」
とか言いつつ検索しまくって答えを見つけて、
「ここは◯◯だよ。ちゃんと覚えとけよ」とドヤ顔で教えています(私だけ)。
スマホいじりを前提にした教育を進めていくべき
時代はすでに、「頭がイイ」の基準が昔とは全く違っています。
昔は「頭がイイ」と言えば記憶力と知識がある人のことでしたが、そんなもん今の時代は検索したら一発なんだから意味がありません。ちゃんと検索できれば知識は一瞬で手に入るので、「物知り」である必要がなくなってきました。
それよりも、知識があることは大前提なので、その先の発想とかを言ってくれないと「頭がイイ」とは言えない時代になってきたのです。
なので最終的には、
「知識なんかさっさと検索して、その後のことを考える人」
にならないといけないので、本当は社会のテストの暗記とかしてる場合じゃないのかもしれません。そんなものはササッとGoogle使って調べて、その深い理由などを学びたいところ。
なので、本当は今後もっと、
「テストも、スマホの検索を使い放題(他人と連絡はダメ)」
という形式にシフトしてもいいんじゃない、と思いました。そうすれば、赤ちゃんにハチミツを与えるミスは、この世から無くなると思いますよ。
ゲームをするか、検索するか、それが問題だ
中学生の多くは、そして高校生になるとほとんどの生徒がスマホを持つ流れは止められないのですが…、でもまぁ、検索とか調べ物に使ってくれるならめちゃくちゃ有用な話だと思います。
テレビ見たり本を読んでいて、気になる言葉とか知らないことがあってすぐ調べたい時、スマホがあるとめちゃくちゃ便利です。すぐに検索して解決、ということを繰り返していると知識もついてきます。案外、検索したことって忘れないのです。
スマホと子供の付き合い方は保護者の皆様のお悩みテーマだと思いますが、
「スマホを持たせない」
のではなく、
「有効に使わせるためのルール作り」
とかに骨を折ったほうが将来にいい影響がありそうですね。